私たち、卒業します!
おかげさまで2015年5月にアソブロック株式会社は設立12周年を迎えました。
人間でいったら、晴れて小学校を卒業するくらいの年齢になったわけです。
ここらで、心機一転。過去の自分たちを振り返り、区切りをつけたいと思います。
卒業生、全員起立!!
僕たち
私たちは
卒業します
〜創業期〜
Illustration by Mayumi Kato(asoblock inc.)
暇すぎて鼻くそをほじる日々〜
当時をよく知る人の声:橋本さん(アソブロックOG)
鼻くそほじるほどヒマでしたが、社長の団さんは営業で外出が多かったです。私のPCがまだなかったので、スケジューラを出力してくれて予定を共有していました。そこに丁寧に修正液で消されている予定がいくつかあり(だいたい夜の時間帯に)、なにか怪しい仕事をしてるんじゃないかと心配になって、表面を削って裏から透かして見たら「20:00 桃子」というデートの約束ばかりが出てきました。(※桃子さん=現在の団夫人)
〜ジャンケン採用期〜
応募が殺到して対応しきれず、あえなく終了となった
当時をよく知る人の声:土館さん(アソブロックOB)
当時アソブロックは「経歴不問。じゃんけんに3回勝てば即採用」という「完全ジャンケン採用制度」を導入していました。ひやかしのつもりで応募してみたら、あれよあれよと3連勝。実際に採用になってしまって、別の仕事もあったのでしばらく間をおいて入社しました。
~何でもアリのポケらいふ期~
テレフォンショッキングに贈られてくる花の数を、毎日欠かさず数えていた
当時をよく知る人の声:平山さん(アソブロックOG)
『ポケらいふ』というケータイマガジンの仕事をしていたとき、はちゃめちゃなコンテンツをたくさんやってました。フリーマーケットで、わらしべ長者をやってみるという企画では、最初は編集部にあったシールから始まったのが、気づいたらiPodになってました。当時発売されていたおもちゃの「おばけ探知機」の性能を検証する企画で、恐山のイタコに降霊をお願いしたところ本当に探知機が反応した、なんてこともありました。
~倒産危期!?~
リーマンショックより前にきた倒産危機〜
当時をよく知る人の声:中川さん(アソブロック顧問税理士)
この時期はそれまで定期的に入ってきていた仕事がだんだん少なくなってきていて、そんな中でも団さんの重要度の高い仕事を新人にあえてまかせるというスタンスはすごいと思いました。社内でプロデューサー制度という制度ができたことが、この状況を抜けだした転換期だと思います。
(※アソブロックの「プロデューサー制度」とは?……社長を含む複数名のプロデューサーのもとに、ディレクター、アシスタントを割り振り、スタッフの人数やスキルに応じて各プロデューサーが売上ノルマをもち独立採算性を保つ制度。社内カンパニー制度に近いが、アソブロックの場合は事業でカンパニーが分かれるわけではなくあくまで「人」によって分かれている点に特徴がある)
~う◯こ包囲期~
一面う◯こに囲まれた外苑前の一軒家オフィス〜
当時をよく知る人の声:高岡さん(アソブロックOG)
当時のアソブロックの社屋は、築50年近い古民家を改装したものでした。ある日「なんか、臭うな。猫のフンでもあるのかな」と思って何気なく窓を開けて見たら、隣のお家の塀との間の狭い通路いっぱいに(以下、自粛)。あのころは社内に20名近くメンバーがいたので、民家のトイレのキャパを越えちゃってたんでしょうね…。まるでおばあちゃんちみたいな居心地のいい社屋でしたが、盲点でした。
~新宿区は曙橋に移転したよ期~
念願だった社員食堂〜
<strong>当時をよく知る人の声:今井さん(アソブロック所属 シェフ)</strong>
はじめて団さんにお会いした時にいきなり、うちでカフェやらない?とお声がけいただいて。ちょうど環境が変わったタイミングで、もともと料理は好きだしぜひやりたいと思ったのですが、ただ、この人わたしのご飯食べたことないけど大丈夫かなあと思いました(笑)
そんなこんなで
中学生になった
アソブロックを
どうぞこれからも
よろしくお願いします!
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