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先輩と後輩の倫理/「だから、やっぱり愛なんちゃう?」森伊都貴さんの場合

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よい先輩、よい後輩とは、どんなものだろう?

ふたりの人が、ある集まりの中で、関係している。
互いのまなざしと実践は、互いを変容させていく。

ふたりの間にあるべき、具体的なやさしさを知るために。

この連載は、あ総研・研究員の熊谷が「先輩と後輩の倫理」を知ろうとする試みです。今回は、同じくアソブロックに所属している先輩・森 伊都貴さんとお話しました。

言わないこと、言ってあげること

── 初めて後輩ができたときに、「あ、こうしたらいいのに」と思うことがあって新鮮でした。気づいたことを言うか、言わないか。難しいなと思ったんですが、森さんはどうですか?

わたしは、言っていたなあ。塩梅があるよね。
その子が新卒で、社会人としてヒヨッコだったら、全部言ってあげる。注意するのは、勇気もエネルギーもいるよね。

先輩としてエネルギーを注げるかどうかは、やっぱり愛なんちゃう?

── 愛に限界はあると思いますか?

ないと思う。好きだったら、ものすごく好き。「わたしの愛はここまでしかありません」って、あんまりないかも。

例えば今日は「今日こそ、絶対くまちゃんと喋らなあかんな」と思って来た。そういう愛情のかけ方もあるやん。目の前にいるときは、目いっぱい注ぐ。だけど、注がないときは注がない。

例えば、道を歩いていて、知らない人にはあんまり注意しないよね。

── 優しさって、具体が伴わないと意味がないのでは?とも思います。「大変そうだと思うけど、あのおばあさんの荷物を持ってあげない」というとき、優しくないなと自分に思う。

それは、積み重ねじゃない?

この間は手伝えなくて、今日また目の前におばあさんがいたら、「この前できへんかったし、今日しようかな」と思う。そういうことの積み重ね。一日一善、本当は出来たらいいんだけど、なかなかね。

荷物を持ってあげるって、気持ちがなかったらそもそもできない。だから、後輩に対して何かを言うかどうかも、気持ちとしてまずは持っていてあげることが大事なんじゃないかと思う。

あとは、その子の後輩力もあるよね。聞いて成長できるか、それを積み重ねていけるか、どうか。

2杯目のお茶を、気持ちよく差し出す

── 後輩力って、どうやって身につけてきましたか?

やったことに対して、良いか悪いのか。フィードバックをもらえる工夫はしてきたかな。何にも言ってもらえなくなったら終わりよ、本当に。若いころはそんな感覚もなく、ただ「うるさい、うるさいな」と思っていた(笑)。

転職のタイミングで、どんどん仕事を引き継いで、何にもすることがなくなったとき、すごく喪失感があった。誰にも何も言われない静かな時間は、快適だけども寂しい。「〝何も言われなくなったら、成長がない〟ってこういうことやな」と思った。

でもまた新しいところに入ると文化も違って、いろんなことを吸収するから、すっかり忘れて「うるさいな」と思う日々が続くんだけど(笑)

── 先輩に「それ違うんじゃないか」と思うときは、どうしていましたか?

「なるほど!おっしゃることは、よく分かりました」といったん全部聞いて、そのあとにめっちゃ言う(笑)。「語弊があったら申し訳ないんですけど、わたしはね」って。何回も失敗したよ。だけど、そのなかで知恵がついてくる。

新卒で入った会社では接客ばかりやっていたから、お客さんに教えてもらったことがやっぱり多かった。「これがつまらなかった」とか、「商品に傷がついていた」とか、お客さんと喋るのは基本的にクレーム対応。そこで「いやでもね」とは、やっぱり言わない。

クレームを言う人は、そのぶん、愛情深い人なんじゃないかとも思うから、そういう人に、いかにファンになってもらうかは工夫していたかもしれない。その人が持っている熱量のうち、どこを拾ってあげたらいいのかなと。

そして話を長引かせずに、うまくクロージングまで持っていく(笑)。

── 森さん、その力ありますよね。盛り上げるときもあるけど、同時にすごく距離を置いているときもある。

それも、エネルギーの注ぎ方だよね。聞いているふうで聞いていない時があるよ。家業がお寺で、それも影響しているのかも。

お寺の玄関って、ほんまにいろんな人が来る。お彼岸だったら、1日で100人以上。だいたい話が長いねん(笑)。とにかく機嫌よく帰ってもらうことが、一番大事。相手の話をほどよく聞いて、絶対に上から物を言わない。切り上げて帰ってもらうための失礼ではないワードも何個かあって、うまく使っている(笑)。

急にハッとして「お時間、大丈夫でしたか」とか、「お引き止めしてしまってすいませんでした」とか。そう言ったら、相手も気づいてすっと帰る。

やっぱり限られた時間だからさ、本物の聞き上手にならないと、美容に悪いで?

── 美容!

訪ねてきたお坊さんと、わたしの父が喋っているときに、いいタイミングで2杯目のお茶を持っていくとか、やっぱり大事なんだよね。それが、助け船になるから。

聞きたかったことはもう聞けたというときに、気持ちよく切り上げる方法を持っておくのも、後輩力のひとつかもしれない。

大丈夫。もうちょっと泳いでみて

── 例えば、後輩と一緒に船に乗っています。後輩が船から落ちたときに、森さんなら、どのタイミングで手を差し出しますか?

「あ、死ぬかもしれないなと思ったら」。船の上でどういう風に過ごすかは、けっこう放っておくかな。それで落ちたら、海の様子でも見ながら「落ちてみて、どう?」って聞く(笑)。

最終的には助けてあげるけど、でもその過程で「もう絶対に落ちんようにしよう」とも思ってほしい。また落ちたらお互いに大変だし、落ちたときに初めてわかることもあるかもしれない。

ここまでは泳げるなとか、こっち側に回ったら実はハシゴがあったなとか。探検してみてほしい。

──「どう?」って聞く余裕は、わたしにはないなと思いました。上げ方を知らないと、それはできないっていうか。

上げ方じゃなくて、「上がり方」を知っているんやで。自分が何回も落ちているから(笑)。まずどこに謝るか、どういう風にして事を収集するかを、やらかした数だけ知っている。

だから後輩が落ちても、「こういう道筋を辿れば大丈夫」と言ってあげられる。わけのわからない理由でお客さんに怒られたとか、いっぱいあるからさ。最終的に、なんとかして引き上げてあげられる自信はあるかな。

後輩が溺れているときに、先輩が船の上で「やばい!もうあかん。終わった。浮き輪、浮き輪がない!」と言っていたら嫌やん。「大丈夫、大丈夫。もうちょっと頑張って泳いでみて〜」と構えていられる先輩でいたいよね。

あとがき

わたしが「大丈夫」と誰かに言うとき、その言葉はどのくらい確かだろうか。裏付けのない「大丈夫」しか、わたしはまだ持っていないように思う。
「まずは、自分が必死で泳ぐことやで」と森さんは言った。いま必死に泳いでいることが、いつか誰かを海から上げることに繋がるのかもしれない、らしい。

つづく。

 

トップ絵:かまぼこおたふく 文:熊谷麻那

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